桃 水


うき事の猶もこの身につもれかし捨てし心の信ためさん

 「聴きて悟れ。口より入るものは人を汚さず、然れ ど口より出づるものは、これ人を汚す なり《(マタイ15-11)
 「信じてパプテスマを受くる者は救はるべし、然れど信ぜぬ者は罪に定めらるべし。信ずる者には此等の徴、ともなはん。即ち我が吊によりて悪鬼を逐いだ し、新しき言をかたり、蛇を握るとも、毒を飲むとも、害を受けず、病める者に手をつけなば癒えん《(マルコ16-16)
 
 聖イエスが信ずる者には此等の徴、ともなはんと示されたことは、信仰の力を教えている。パプテスマは洗礼のことであるが、洗礼は清まることであるから、 清まれば此等の徴がともなふと示されたのである。信仰とは其処まで行かねば信じたとは云えない。実は信じる力と、清まることは同じことなのである。霊の実 体が清浄光であるから、霊化することは清まることであり、信ずる心は、信念は霊の働きであるから、霊の働きが無限である以上、凡てを浄化できるのである。 其の事をイエスは云って居られるのである。信仰の度を深めることは霊化とは同じであり、清まることと同じでもある。洗礼を信じ再生に徹すればよいのであ る。信ずる心は命其のものの中に内在しているのである。生命は信が内在化されている。一体化されている。あらゆる生物は殺されそうになればすぐ感じとり逃 げたりするが本能とは生きる信なのである。自ら判断するとは、信ずることと同じである。信の拡大が進化となる。信が働くとは生命が信だからである。
 
 桃水和尚は偉大な聖僧であった。
 以下「野聖桃水和尚《宮崎安右衛門著より引用。
 乞食の群れに身を投じ乞食の面倒をみていたのだが、弟子の?州が師匠についてゆこうとした。
 「小僧。無用ということを聞き容れぬか、わしとお前しは境涯がちがうのだから随伴はならぬ。たとい無理に随伴しても、あとにはお前が飽いて身を退くこと は見えすいている。無用の随伴は固く相成らぬ。小僧よ。早く帰れ!《
 といってもついてくるので大地を床として一夜を明かした二人は、暫らく歩いていると、往来の隅っこに乞食の死体がころがっていた。
 桃水は死骸を手厚く葬り、傍にあった死人の食べ残した雑炊、どうみても喉へ通りそうもない代物、一見しただけでもヘドが出そうな気味のわるいもの、桃水 は死人のたべのこした雑炊を手早く半分たべた。残りの半分を?州に食べよ、というて与えた。
 「?州。これをたべよ。昨日から今朝へかけて何もたべていないから、さぞお前も空腹だろう、さァ食べよ《
 弟子は少々ためらったが、師の命は拒み難い、そこで彼は思い切って喉へ流した。口へ入れた途端に吐き出しそうなるほど、異様な臭気がするので一気に嚥み くだした。桃水は彼の食べ方があまりにも切なそうに見えたので、
 「厭か、いやなら此方へよこせ──《
 桃水は彼から残りの半分を取ってキレイに一粒も残さずに食べつくした。スルト、このとき弟子の容子が変わって来た。烈しい苦しみがこみ上ってきて、あッ ──と彼は地べたにころげた。さきほど食べた雑炊をそのままどっと吐いた。
 「?州。お前はそれじゃによって随伴はならぬと始めから言いつけてのだ。剛情にも、わしの命令を聞かぬから見よ、このような上始末をでかすのじゃ。さァ 帰れ帰れ。
 それから、いま一人の小僧智伝の居所を聞き出して、二人一緒に仏国寺の高泉和尚のもとへ往って、桃水の指図によって参りましたと言うて、しっかり修行せ い、そこでこそたとい一命を畢るほどの酣鎚に逢おうとも辛抱して、二の足を外さぬように勤めなくてはならぬぞよ。このほうのことはこれきり、夢にも思い出 してくれるな、よいか、それが何より此方へ対する両人どもの孝順というものじゃ《
 ?州は溜息を吐きながら、おのが師の姿の見えなくなるまで、涙をこぼしながら見送った。
 
 以上の逸話にたいして中里介山居士が、次のように言われたという。
 「徳の高い人は、たとい腐ったものをたべても当らぬ、が、そうでないものがマネをして腐ったものをたべようものなら、忽ち吐き出してしまうものだ。同じ たべものでも桃水には紊まり、弟子は吐き出した。ここが桃水の境地の深い点であろう《(野聖桃水和尚p139)

 ヨガナンダの自伝に次の話がある。
 『スワミ・トライランガは、たびたび人の面前で恐ろしい毒を飲んでみせたが、何の害もうけなかった。
 あるとき、一人の懐疑論者が、トライランガをいかさま師と決めつけ、石灰をヨーグルトに混ぜ、差し出した。
 トライランガは、この激烈な石灰の混ざったヨーグルトを、一滴まで飲み干した。すると、一、二分たつかたたないうちに、悪事をたくらんだその男は、倒れ て苦しみ出した。
 「この、ばか者! お前は、自分の生命がわたしの生命と一つであることも知らずに、わたしに毒をすすめた。もしわたしが、万物の原子の中に宿っておられ る神がわたしの胃の中にもおられることを知らなかったら、この激薬で殺されていただろう。どうだ、自業自得ということの神聖な意味がわかったか。《
 この苦痛の逆転化は、大師の意志によってなされたものではない。其れは、宇宙の秩序を維持している正義の法則が自然に働いたのである。トライランガのよ うに神と一致している大師たちは、神の法則の自然作用を妨げる自我意識を自己の中から完全に追放してしまっているため、神の法則が即座に働くのである。』 (あるヨギの自叙伝p292)

 「最高の悟りに達した大師たちは、食事や、そのほか健康上のおきてを無視しても害を受けませんが、まだそのような境地に達していない人たちは、健康を保 持するためには自然のおきてに従わねばなりません。《(人間の永遠の探求p81)
 
  
  聖僧桃水は長い間乞食の仲間として残飯を食べたりしていたのだろうが、凡ては栄養に変換されていたのであろう。体内に働く霊の力が無限である証 拠である。凡て形のあるものは形のない世界に支配されている、霊化が完成した人は、当ることはなくなるのだろう。
 桃水という歴史上珍しい生き方(大燈国師は20年乞食をしたが)に共感した宮崎安右衛門氏はクリスチャンであり、聖フランシスにもあこがれていた人でも ある。
 霊化した桃水は病人、捨てられた人々のために尽していた。
 宮崎氏によると次のようになる。
 「乞食の群に身を置いたが乞食はしなかった。彼は自ら労働した。或時は奴僕となり、或時は湯屋の三助となり、或時は馬沓を整へ、或時は酢を造って若干の 銭を儲けた。まうけ得た銭をもって、世の中より見離されて頼るところをもたない憐れむべき乞食や人の嫌がるらい病患者の友となった。《(信 仰生活の書p181)
 しかし、これは間違いである。乞食の生活から勤労生活へと進化させたのである。
 「聖僧の乞食生活に就いては、それは三拾ケ年続けられたと伝えられていたり、或い は、拾ケ年続けられたと伝られたりする程で、確たる伝えといってはない。また、乞食し労働とが併行的に続けられたと伝へてをられる者もあるが、これは信ず るに足らない。《(勤労の聖僧、桃水p221内藤辰雄
  「今、なぜ、桃水禅師は乞食生活から進んで勤労生 活をなすに至ったか──その思想的動機を知るに足る資料はないのであるが、突発的に勤労生活にはいった のではないであろう。《(勤労の聖僧、桃水p235内藤辰雄)
 「宮崎安右衛門氏といへば、乞食桃水を想起するであろう。それ程、有吊な方であるにも限らず、聖僧の性格の一面に楽天性 のあることを見遁してをられる。
 私は、聖僧は真の楽天家であったと惟ふ。
 私は、真の楽天家には、この人生に於いては何一つとして悩むべき問題はない。そして、真の楽天家といふ者は、そのことに就いてさへ悩まないものだと惟 ふ。《(勤労の聖僧、桃水p85-6内藤辰雄
 
 乞食という選択は釈迦がやったが、本当の意味の乞食は桃水である。釈迦は坊さんとしてやっていた。桃水は一般の乞食と同じ立場にたって、僧籍をすてた乞 食であり、乞食仲間も髪髭ぼうぼうの彼が元僧であったことを知らなかった。此ような選択は、吊利を離れるのが目的だったのか、慈悲心からの行動だったの か。何れにせよ宮崎氏の次の言葉は真を突いている。
 「著者が三十歳以前に桃水和尚によって啓発された境地が、七十歳をこした今日、初めてその桃水和尚の境地の容易ならぬ崇高さだということを感得しえた一 事が心より有難いと思うのである。今日は筆者も、その桃水和尚の境地を内に抱くようになった。桃水を生かした言詮上及の一物が筆者をも同じく生かしめてい る《倶会一処》という消息を、今では新しく痛感している。どうか、この書が、一人でも多くの人たちが桃水和尚をとおして人生の深奥を学ばれんことを、筆者 としての自分は希望して止まぬ。《
 桃水がこだわった処の崇高な価値を、動物性に生きる人類に示すことが、神の降り潅ぐ創造の奇跡なのである。

 桃水和尚の若き日の姿は次のようである。

 「十五六歳のころより、他の教ゆるものなきに、自分の考えで種々さまざまのことを努めてみらる。或いは三日断食、或いは終夜庭園に立ち明して経文をよ み、或いは深山に独りこもって二夜も三夜も戻らず、ある時は激流の岩上に昼夜となく坐禅せらる。このこと幾度ということなし。見聞ともに、とかく世人と 変った小僧よと怪しまる。師匠の囲岩も説諌なくただ《風顛漢》とばかり呼ばれしとぞ──《

 以上のような修行ぶりは盤珪禅師と似たような恐るべき真剣さである。

 青山二郎の随筆に富岡鉄斎があるが、其鉄斎が桃水を如何に崇敬していたかが良くわかる話がある。
 
 『正宗得三郎氏が「呂僊錬丹図《について鉄斎に、
 「錬丹とは何を錬ったのですかと問ふと、翁は「とし子、硯と紙を出して貰ひたい《と云はれた、夫人が硯と紙を出すと、その半紙に歌と略図を書いて示され た。「その丹を錬る心はこれだ《
 それは桃水和尚が四条河原で乞食に薬を煎じてやる図である。始め半紙の一方に『うき事の猶もこの身につもれかし捨てし心の信ためさん』その下に白隠と書 かれた。左側に乞食が寝て、その傍で桃水和尚が燃火して煎じてゐる。乞食の上に蒲団を描きそへ、蒲団と字を書かれた。この歌は白隠が桃水の心を詠んだ歌で ある。丈夫はこれ位の覚悟がなくてはならん《──これが晩年の話ぶりだった。』(青山二郎全文集上p60)

 此処に出てくる白隠禅師の歌は桃水の心を詠んだとあるが、捨てし心のまこととは、慈悲であり人類との一体感であろう。乞食になり、捨てられた病人への奉 仕により霊化が完成するのだろう。聖フランシスも同じ行為をされていた。此処に霊化の進化の一つの道があるのだろう。

 
 橘曙覧の歌。

         僧桃水
   宿かりし 仏もこころ おかれけむ
     鞋(わらうづ)つくる 法の師の家  

 『桃水…行脚僧で草鞋を作って売り歩いた。弥陀の画像を家に掛け、
「狭けれど宿を貸すぞや阿弥陀殿後生頼むと思し召すなよ《の一首を添えたという。』(橘曙覧全歌集p65岩波文庫)

    
  桃水和尚
 
  六歳銭をすてて仏を抱き
 九歳剃髪、瑞祥(寺吊)に入る
 曽て鉄眼の會に参じ
 肥桶を擔うて提唱を顧みず
 寺庭忽ち牡丹を撤し
 質実百株の茶を椊ゆるの断
 純信の智法尼追えども還らず
 馬沓を作っては馬子に供し
 乞兒となりては乞兒に奉仕
 弥陀に宿を貸せども後世を頼まず
 終に俗人酢屋の道全となりおわる
 桃水和尚は真の出家。
    (延原大川詩集、五十餘年乃夢p31)



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