カエサル

 @オルテガの見解
 クレオパトラという存在はエジプトの守護神である。事実そのように働かれてゐる。エジプトの危機を何時も助けようと今現在働いている。
 カエサルも又そのような愛国者だったのかも知れない。カエサルを悪くいうサクソン・ゲルマン系の歴史を教えられてきた日本人は間違った暗示を与えられて来た。

 哲学者オルテガは書いている。

 「英雄とは、ある一つの観念が、忽然と彼の幻想の中に現われた、空気の粒子よりももっと小さな微粒子が、そのように重くのしかかる堆積物を爆発させてしまうことを希求する人物なのである。惰性の、そして現状維持の本能は、そのようなことに我慢できないから、復讐するのだ。すなわち英雄に対してリアリズムを立ち向かわせ、一篇の喜劇として包みこんでしまうのである。」(オルテガ全集1巻p165)

 「非凡なる一人の男が、ローマを救うためには属州をこそ高揚しなくてはならぬという天才的な直感を閃かせた。この男は、私の好みからするならば、これまで実際に存在した最も偉大なる人物なのだが、カエサルと呼ばれ、ユーリウス氏族の出であった。
 ゲーテも言ったように、或る一つの種がそこで頂点を画しているような存在は、いずれも既にその種には属していない。カエサルにあっても、ローマの魂は自身から遁れ去っている。この場合は奇跡的だが、「古代的」な限界のただ中に突如として「近代」人が姿をあらわすのである。
 彼における一切はわれわれには、完璧で典雅で実り豊かで崇高と見えるのである。「怖ろしくて且つ魅惑的な」人物と最近の或る論者は彼のことをこう呼んでいる。
 女神ヴェヌスの後裔(ユーリウス氏はこの女神から生まれたとされる)なるカエサルには、国家がその形式と根柢を変えなくてはならぬことが、よくわかっている。新しい諸制度を発明し、本質的に調和のとれた新たな社会的活動を目覚ませることが必要なのである。
 ローマの限界を乗り超えようとするその意図は、カエサルの生命を犠牲にした。古代の爾余の魂は誰一人として再びカエサルの観念を「看得する」までにいたらなかった。」(傍観者p248)
 クレオパトラがエジプトを愛したようにカエサルも国家を救おうとしたのだろう。
 「共和国は既にして単なる言葉でしかない。」──こう言ってのけたのは、カエサルの天才である。」

 マックス・ピカートは「人間とその顔」で次のようにカエサルを神秘的にみている。
 「シーザアの顔においては秩序が実に完全であるから、神々さへもこの秩序に参加しているようにみえる。丁度大地が地平線のところで空にふれるように、彼の額の縁は天に接触している。この顔は、神々が降りてくるようにと地上に立てられた梯子のようだ。実際、神々は降りて来るかも知れない、……だが神々は飛翔する。神々はこの顔のうえを飛翔する。そして、顔はこの飛翔のもとでざわめく。顔の秩序、地上の秩序が、神々の飛翔のもとでざわめくのである。」(p59)
 ピカートは「まだ人間による荒廃をまぬがれているスイスのテシン州の美しい自然のなかに移住し、以来永らくルガノ湖畔の静かな村にあって観想と著述に専念してい」(訳者の序)る。

 カエサルの着想とは違うが、徳川家康の長期政権構想は戦国武将の中で唯一の構想であった。他の武将にはその様な着想は無かった。秀吉に殺された息子が其ような構想を持っていたという話があるようだ。何れにせよ家康は他の武将のもたない着想があったところに長期政権が成立した。一人の人間の着想が政治を動かしている事実である。


 Aアウトサイダーカエサル
 コリン・ウイルソンによるとショーは「ダンテ以来の最も重要なヨーロッパの作家」(バー ナード・ショーp279)であり、「シーザーとクレオパトラ」は 「紛れもない傑作」であり、「ショーの最も偉大な戯曲であることは論証できる。」という。(バーナード・ショーp159)
 『ショーの描いたシーザーは、ほかでもない、ショーをしてハムレットは「アウトサイダー」なりと言わしめたのと同じ理由によって、一個の「アウトサイダー」である。その理由とは、つまり、シーザーは他の人間よりも一段階上まで生長進化した男であり、他の人間のあいだにあっては全く孤独で、理解されぬ存在だからである。』(宗教と反抗人p185)
 『この戯曲(シーザーとクレオパトラ)でショーが狙ったのは、若い頃の自分の軍人的野心と――いわばハムレットのように ――同時代の道徳律とを脱却した人間シーザーを描くことにあった。実際には一生を戦争と政治的陰謀とで明け暮れたシーザーを、ショーが「より高次の進化人種」という概念の実例として選んだのは逆説的なことと思えるかもしれないが、ショーの目的にとっては、劇の中心人物が「世界指導者」タイプの人間であることが必要不可欠だったのである。人道的な独裁者を描くくらいならいっそ人道的な哲学者を描いたほうが説得力をもてたかもしれぬのだが、「より高次の進化人種」こそが世界の指導者であるべきだというのがショーの中心的な信念だったのだ。
 ショーのシーザーは、従って、ショーの発展における新しい一歩てあり、それは、非社会的な社会主義者や、世間離れのした詩人や、根はキリスト教徒であった悪魔の弟子などを乗り超えてゆこうとする一歩なのである。この劇のシーザーこそは、世界改善者へと転じた幻視者を描こうとしショーが創造した最初の――そしておそらくは最もうまく描けた――人物だったのである。』(バーナード・ショーp162)
 「ショーの描いたシーザーもまたロマンチックな人物である。この劇全体の質が音楽に近づいているのである。」(バーナード・ショーp163)
 『不必要な死をとげることは悲劇的ではない。愚かしいだけだ。シーザーは、自分の過去の過酷さを顧みて言う。
 「あの頃のおれは何と莫迦だったことか! 人間の命があんな莫迦者の手に委ねられているとは!」。
 これは悲劇的な見方を健全に否定したものであり、かっての「悲劇」 は愚かな事故にすぎず、おれはもう二度とそれを起らせるものかという感想なのである。』(バーナード・ショーp264)

  「ショーの戯曲は、実は、新種のヒーローを創造して一つの巨大な問題を解決しようとした不器用な、成功したとは言えない試みなのであり、その問題とは、個人を通じて作用する進化の力がいかにすれば悲劇と荒廃を避けうるか、ということにほかならない。歴史始まって以来、殉教者はあとを絶たないが、殉教は、思想を弘める方法としては高価すぎる。はたして進化の力のにない手である人間は、このような陥穽を避けてその力を十二分に活用することを学べるであろうか。」(バーナード・ショーp148)
 「歴史は、個人を通じてみずからを表現するなんらかの「力」の表現にほかならず」(バーナード・ショーp147)
 『ショーが古典的なものを定義して語った言葉、古典的とは、「この世のあらゆる結婚式や、検屍や、死刑執行ばかりではなく、この世の哲学や、芸術や、詩や、演劇を生みだした」ものなのだとショーは言ったのだった。死後二十年を経た今、ショーの「神秘的」な見解がフロイトの ペシミスティックな還元主義に劣らず科学的にしっかりしたものであることは分っている。』(バーナード・ショーp155)
 「ショーはシーザー級、ミケランジェロ級、シェイクスピア級の人物は十五世代のうちに一人だけ生まれるものだ、と指摘し ている。」(バーナード・ショーp197)
 ショーの次の言葉を紹介しておこう。

 『私はシーザーを偉大なものとして再現してきた。
 彼は美徳をもっているから、善良の必要はないのである。
 彼は太っ腹でも率直でも寛容でもない。なぜなら腹を立てないほどの偉大な人間は、ゆるすべきことがないからである。
 この国(英国)の舞臺では、せいぜいお人よしが見られるだけだ。自己否定と、大衆的イギリス的意味における善良は、人間は生まれつき邪悪であること、至高善は至高の殉教精神であることを暗示している。この抹香臭い意見に賛成できないために、私はどの戯曲においても、その肩持ちをしなかった。この意味で私は古代神話の先例にならったといえる。そこでは、英雄がその敵を亡ぼすのが、公平な戦いによってでなく、魔法の剣、超自然の馬、魔術的不死身によるものとして現わされ、こんなものを持っていることは、卑俗な道徳的見地よりすると、彼の偉業から、そのすべての功績を奪い去るものである。
 道徳家たちの共謀によって彼が殺戮されたときに、(死刑臺の上であろうがなかろうが、世間の道徳家たちは、いつでも殺戮を義務と考えている)、彼は防戦につとめたが、とうとう善良なブルタスがうちかかると「おやおや、ブルタス、お前もか!」と叫んで、それ以上はたたかわなかったという。もしもこれが本当なら、彼は性懲りもない喜劇役者であったにちがいない。もしこの説を撤回して、伝統的感傷的解釈をとるにしても、やはり彼の快活さと冒険精神との証拠はいくらもある。実際これは彼の生涯によって明らかであるが、彼の野心と呼ばれてきたものは探検の本能であった。彼は彼のう ちに、ヘンリー五世よりは、コロンブスやフランクリンに似た多くのものをもったいた。』(シーザーとクレオパトラp194-5)

 尚、トービス星図著「神秘学入門」に次の記述があるが、此ことは天武天皇を彷彿とさせることである。

 『史上に名高いジュリアス・シーザーも、また星に没頭したということは、驚嘆に値するだろう。天宮や占星に魅せられた彼はギリシャ人アラタスの「現象」の翻訳を行ない、その六七年にはポンティファックス・マクスィマスすなわち鳥の飛翔や、囀りによって予言する預言者たちの長に選ばれたりしている。疑いもなくこれらの事実は、シーザーが聖星学を信じ、その政治的行使者であったということと、その偉大なる業績や成功が多分にその天宮図の研究に負っていたという推測である。』(p283)


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