愛新覚羅慧生
天城山心中で有名な、愛新覚羅慧生さんも死後霧の中に眠っているような状態だった。30年位前だったが、ある女史が慧生さんを呼び出した。その時私が慧
生さんに聞いたところによると、天城山心中は大久保武道くんのピストルの「暴発」だと言った。「学習院では多くの人々から中国と日本の混血であるというこ
とでの差別意識と差別を受けて悩んでいた私を一番理解してくれたのが武道くんだった」、と慧生さんは私に告げた。死後22、3年たっていたがもう記憶が
はっきりしなかったので色々な質問に答えられなかった。咽喉が渇くというので其つど清めた。3回位咽喉が渇くと言うので清めた。その次の日慧生さんから現
実の電話が女史の処に入った。電話を取るといきなり慧生ですが昨日は、と始まり、清めを受けて記憶がはっきりしたので昨日質問されたことをお答えします。
ということで私の質問に総て答えてきた。其後調べた結果その解答はすべて正しかった。私は皇室用語だろう「おひいさま、おたあさま」と言う話を印象ぶかく
覚えている。その後父溥傑氏と浩夫人が初めて来日し心中の現場天城山に行ったが、今は中山神社の愛新覚羅社に祭られている。浩夫人が中山忠光卿の曾孫であ
る関係で此処に祭られたが何時かテレビで此処におまいりすると若い女の声でおかえりなさい、という声がする。というので録音したのが流された。ビートたけ
しの番組だった気がするが、私には分った。慧生さんがそのような能力のあることが、電話を掛けてきたことで明瞭だったから。
中山忠光卿の姉の子供が明治陛下であるから忠光卿の曾孫である浩夫人と慧生さんは明治陛下の一番近い親戚である。国の歴史の悲劇が此処にある。慧生さん
は日本の差別意識に悩み犠牲になった。しかも明治陛下の親戚でもあるのに、アジアは一つといったのは誰なのか。差別ばかりしてなにが一つなのか。そのこと
を愛新覚羅慧生さんは問いかけているのだ。
「流転の王妃の昭和史」愛新覚羅浩夫人は母親であるが慧生さんを全く理解していない。周恩来氏は慧生さんの写真を部屋に飾っていたという。差別意識の犠牲
になったことが分っていたのだろう。周恩来総理は言った。
「慧生さんのことは心よりお悔やみ申し上げます。本当に惜しい方を亡くされました。まことに残念です。かって、彼女は私に直接、手紙をくれたことがありま
した。私はあのように勇敢な子を好きなのですよ」(流転の王妃の昭和史p271愛新覚羅浩著)
日本との連携の道が一番必要なことを知っていたのが周総理、ケ小平の路線であり、確信であったが、その信念を加速した発端が清王朝の子孫慧生さんの周恩
来総理への手紙と、慧生さんの死であったのではないかと私には思へるのである。日中の架け橋として働いた彗星として。
愛新覚羅慧生さんを呼び出した数日後大久保武道君が女史に現れ、「世の中は狂っている、大人は汚い、親父が九州くんだりまでいったのも大川周明を慕って
いった」と告げ世の中を憤慨している状態で喚いていたという。何しろ怒りと呪いの状態で迷っているようすだと言った。
大川周明が九州大学法学部教授をやっていた時に九大法学部に入ったのであろう。此武道君の話も正しかった。
この心中事件は恋愛とかいうものではなく、武道君の父親に対する絶望と憎しみにあった。自殺願望を止めようとする慧生さんの持つ孤独感と悲しみとが共感
しつつ起きてしまった事故という以外ないような気がする。、
大川周明の心酔者である父が戦争中アジア主義民族運動を展開したことが子供である武道君に与え
た影響、亦女性問題に対する武道君の怒り等、不思議な綾なす世界にぶつかった二人の子供が受けなければならなかった不幸であった。
『成吉思汗(ジンギスカン)の秘密』高木彬光著の中に此事件が扱われている。
◆トップへ戻る